中学2年生のときに同級生が外洋へ航海した話


人間の中には、淡々と進んでいく日常と、全くの混沌に陥りかけている現在の世界情勢とのギャップを埋めるために、それを肯定する言説に魅力を感じてしまうものがいる。このデータ構造がいいねと言ったから7月10日はスキップリスト記念日といった具合にだ。小さいが確かな幸福。日常の何気ない幸せ……この手の 俵万智的 ( タワラメイティック ) な現状肯定は、麻酔が怪我を治癒しないのと同様に、物事を良くすることはまったくない。本当に全くない。

以下は、それとは全く関係の無い話だ。小学校のときに私と一緒に本棚を破壊したやつの話だ。『外洋への航海』とでも名付けておこう。


外洋への航海


山梨県は海のない県だ。それにもかかわらず、県民ひとりあたりのマグロの消費量は日本で一番多い。無尽をやると絶対にマグロの刺身が出てくる。県民がどれほどクソバカかが分かるだろう。


小三の時だ。キヨカワと私は本棚を壊した。遠くの山をよく見ようと踏み台にしたせいだ。我々は岡里先生から怒られた。マジで泣いた。先生は木工用ボンドを出した。「直せ」と言った。もちろん、本棚はもはや修復不可能に見えた。しかし、私は従おうとした。そのとき、キヨカワはボンドをひったくり、教師に盛大に吹き付けた。私の手をつかんだ。そして走り出した。私は射精のとき、このことを思い出す。

中学二年生になって、キヨカワは学校に来なくなった。理由は知らない。しばらくしたら誰も気にしなくなった。不登校くらい出てくるものだ。計画停電(2011年の初夏には、時折、地区の電気が使えなくなった)の暗がりの中に、私は席に座るキヨカワの姿をときどき幻視した。冷めた目が私を見ていた。幻に体温はないのだから、これは正しい感覚だった。その視線が私は恥ずかしかった。幻は私の妄想なのだから、これは間違えた感覚だった。

私がプリントをキヨカワに届けることになった。キヨカワの家に近かったからだろう。ただ、彼女の家にたどり着くことは無かった。いつも一号公園で彼女は待ち伏せていた。「こっちだよカス」と彼女が近寄ってくる。私は事務的にプリントを渡す。給食の予定いる?――いらねえよ、でも一応もらっとくわ。彼女はいつも一人だった。『言の葉の庭』的展開は起こらない。彼女はこの年の冬に外洋にこぎ出す。

担任にプリントを頼まれる頻度が毎日から毎週になった。夏休みが過ぎた。担任はキヨカワのことを忘れていた。私は勝手にプリントを二枚取るようになった。それを渡す。キヨカワが「漢字ドリルとかやってんの」と聞く。私は「やってる」と答えた。一番難しい漢字って何? と彼女は聞く。男爵。そりゃムズいわ。だろ。彼女は何回か空に書こうとした。そして諦めた。私は何が出てきても「合ってる」と言うつもりだった。彼女は男爵という漢字を定義する側の人間だったからだ。彼女の耳にはピアスが穿たれていた。

十月――キヨカワは蟻の巣にお湯を注いでいた。以前言ったように、山梨において、蟻の巣にお湯を注ぐのは、暇を持て余した成人女性だけがやる娯楽だった。彼女は私を見た。間があった。私は「十月って英語でオクトーバーっていうんだけど、オクトって八って意味なんだよ。オクトパスと同じ」と言った。要するに、ジュリアスシーザーとアウグストゥスが自分の名前をねじ込んだんだせいで二つずれてるんだよ。キヨカワは爆笑した。「そいつら殺した方がいいよ」と言った。私は頷いた。そのうちやろう。

年が明けた。雪が降った。一号公園は雪スキン仕様だった。普通の言い方をしよう。公園は雪に埋もれていた。私はキヨカワの家まで行った。チャイムを押すと、典型的な山梨の人妻が出てきた。私は目をそらした。プリントを渡す。私たちは円滑ではない会話をした。つま先の感覚が無かった。私は『放射能が落ちる』というシールを20枚ほどもらって家を出た。帰り道でキヨカワに会った。手に持ったシールを握り込んだ。捨てるべきだったんだと思ったが、同時に、捨てるべきではないとも思った。そして、私には(かつまた一般に人間には)過去の選択を改めて決めることはできなかった。

「プリントは?」とキヨカワは言った。家に渡したよと私は言った。わずかな間があった。私はキーボードクラッシャーか東映版スパイダーマンの真似をしようとした。当時の私にできる最良のユーモアだったからだ。彼女は「放射能が落ちると思う?」と尋ねた。間。そうなればいいと思うけど、と言った。うちもそう思う。彼女は溶けかけの雪をぱしゃりと踏んだ。海って見たことある? と彼女は聞いた。無い。だよな。彼女は家とは違う方角に歩き出した。


2月のことだ。日曜の昼下がりだった。私は自分の部屋でニコ生を見ていた。露悪的な時事系生主がブチ切れまくっていた。アルビノのロリータがズーフィーのダムバラのために殺されてんだぞ。そのとき、私の部屋の窓ガラスがコツコツと叩かれた。キヨカワがいた。まず、こいつ頭おかしいなと思った。次に、オナニーしてないときでよかったなと思った。キヨカワは一人だった。私は窓を開けた。次の言葉を予想できた。ちょっと来いし。

外は眼球が乾くほど湿度が低かった。キヨカワはスクールバッグを背びれのように背負っていた。何を入れているかは聞けなかった。彼女は髪の毛を青に染めていた。ところどころ、色が抜けすぎていて緑色に見えた。まだ手つかずの入り江のような色をしていた。彼女は北東中(私のいた学校だ)の裏手に回った。給食センターの倉庫の窓を開けた。そこからずるっと体を滑り込ませた。向こうから彼女の声がした。来るじゃん。彼女が手を差し出した。私はそれを握った。冷たくざらざらした手だった。

彼女は私のクラスまで歩いて行った。ドアをクリップ2本でこじ開けた。YouTubeにピッキングの動画が上がっているのだとキヨカワは言った。教室の電気をつけた。汗と乳の臭いがした。私はこの耐えられない悪臭にはじめて気がついた。自分のパーカーの臭いを嗅いだ。同じような臭いがするのだろうか?

キヨカワは机をいくらか蹴散らしてスペースを作ると、そこにサブバッグの中身をぶちまけた。幅の広いビニールひもやセロファンが大量に床に落ちた。ラッカースプレーもあった。全て青い色をしていた。醤油皿のようなものと、どぎつい色をしたタバコの箱も入っていた。

彼女は青いビニールひもを扇風機にくくりつけては細かく割き始めた。私が黙って見ていると、「あんたもやるんだよ」と言った。私の方が背が高く、扇風機は天井についていたから、私の方がくくりつけるのは早かった。ありがと、とキヨカワは言った。私はこの世の扇風機すべてにビニールひもをくくってもよかった。

彼女は窓ガラスに水色のセロハンを貼った。それに青色のセロハンを重ね、最後に紺色を散らした。ラッカースプレーで蛍光灯を青色に塗った。残りのラッカーを床や机に吹き付けた。シンナーのにおいがした。私は科学の資料集に載っていたコラムを思い出していた。

皆さんは、トンネルの中で、ものが別の色に見えた経験は無いでしょうか? 実は、光を出していない物体がある色に見えるのは、それ以外の波長の色を吸収しているからです。従って、トンネルのナトリウムランプなど、光の波長がごく狭い範囲にしか無い光の下では、物体はどれも同じような色に見えるのです。

キヨカワが醤油皿に何かをのせて、火をつけた。煙が立ち上った。煙が教室に広がっていった。報知器が何かを叫ぼうとした。キヨカワがモップで殴って破壊した。教室の扇風機のスイッチを引いた。水色のリボンが首振りに合わせて教室を舞った。青色の光が教室を満たした。海だ! とキヨカワが叫んだ。水がゆっくりとあたりを満たしていく。暖かい夏の海に沈んでいく。

私たちは水中にいた。こぽこぽという音も聞こえた。部屋が潮の生臭い臭いに満たされた。キヨカワは服を脱いで机の上に立った。海だ! と叫んだ。波が私たちを飲み込んで、また引き潮にさらわれた。キヨカワは水をすくっては空に投げていた。海のかけらがパラパラと音を立てた。砂浜に埋められた珊瑚のかけらが足の裏に刺さった。誰かが忘れていったアクエリアスのペットボトルが漂着していた。私はそれを遠くに投げた。キヨカワから見えないくらい遠くに。

キヨカワは水面を裸で歩いた。彼女の青い髪の毛に塩水がかかり、それが蒸発して彼女の髪を漂白した。「海に行くぞ!」と彼女は宣言した。私は頷いた。彼女はビーチチェアを取り上げてどこかに投げた。白い泡がそこから漏れ出した。それは教室になだれ込んできた。私たちは今や深海にいて、ゆっくりと浮上しつつあった。もしくは、締め切られたドックの中にいて、そこに水が満たされつつあった。我々は外洋への航海をするんだと思った。どこか別の場所に行くんだと思った。男爵の漢字が書けなくてもいい場所に。アウグストゥスとジュリアスシーザーを殴り飛ばすために。キヨカワの母親がはじめから存在しない場所に。どこか暖かい外洋へ。

キヨカワは手を伸ばしてきた。行くぞ! とキヨカワは笑った。私がやることは手をつかむだけだった。

そして、「山梨に海はないよ」と私は口走った。キヨカワは一瞬黙った。「佐竹は頭がいいんだな」と言った。キヨカワが笑った気がした。彼女の手が遠くに離れていく。私はそこからの事を覚えていない。とにかく、その日から、彼女は一号公園には現れなかったし、彼女の家もすでに引き払われていた。

彼女は一人で外洋への航海に旅立っていったのだろう。


高校生活が単に過ぎた。ジュリアスシーザーとアウグストゥスに責任がないことを知った。昔は3月から1年の始まりを数えていて、3月から数えて10月は8つめの月だった。それを知ったところで、私には伝える相手がいなかった。

20歳になっても私は童貞だった。童貞のまま中学校の同窓会に行った。全員、非童貞と非処女に見えた。ヤリマンヤリチン全員殺すと思った。ここを肉戯場にしてやる。私は一時的にアセクシュアルのフリをすることにした。反出生主義とジョグレス進化したいちばんラディカルなやつ、額に「自己決定権」と書いているやつだ。そして私は平凡な会話をした。坂本と遠藤が付き合ってたなんて知らなかった。

「なんか二次会来る?」と田之口が尋ねた。田之口は酒を飲んでいても勃起できそうな顔をしていた。こいつについていけばヤれると思った。行く。汚い居酒屋だった。隣の席に佐々木が座った。中学の頃とは変わっていた。何より胸がでかくなっていた。胸が震えて喋ってると明かされても驚かないくらいでかかった。大学どこ行ってんのと彼女は訊いた。東大だと答えた。え、すごい! そんなでもないよ。そういう会話をした。私は退屈になっていた。

「なんかキヨカワっていたじゃん」と私は訊いた。佐々木は一瞬、「誰?」という顔をした。なんか不登校だったやついたじゃん、と言った。あいつって今、何してるんだっけ、今日来てるんだっけ。前の席の田之口が「キヨカワ?」と私に聞き返した。私は頷いた。最近死んだらしいよ、と佐々木は答えた。

あいつ、中学生のときになんか飛び降りしたじゃん。教室めちゃくちゃにして。あれで首なんかやっちゃったみたいで、ずっと病院にいて、最近死んだんだって。なんか1年くらい前。ハガキ出すとき先生に聞いた。そう田之口は言った。焼き鳥を食べた。私はそれを否定しようとした。あいつは外洋への航海をしたんだよと言おうとした。

しかし、私はキヨカワが飛び降りたことを誰よりもよく知っていた。彼女が不登校になったのは、母親が反原発のデモを(たった一人で)行っていたからだということも知っていた。彼女が地元のアホな先輩とつるんでいることも知っていた。彼女がピアスを開け、股を開き、中絶をしていたのも知っていた。市立図書館で隠れるように本を読んでいた。コンビニでよく万引きしていた。怪しいつてを頼ってバスソルトを買っていた。彼女が裸になったとき、腕には無数の切り傷が残っていた。そのうちの一つにはまだかさぶたが残っていた。教室が海にならないことも私は知っていた。知っていたからどうなるものでもない。どうにもならなかったんだ。

佐々木が「えー? そんなのあった!?」と驚いた。湊が「マジ? 何組で?」と叫ぶ。2組。静川みたいなやつだっけ? そうそう、そんなの。死んだってすごいな、とまた別のやつが話しかけてきた。自殺? そんな感じのやつ。俺の大学の友達もうつ病で自殺しちゃってさ、と彼は言った。田之口が「それなんかヤバい」と笑った。店員がビールを持ってきた。泡がテーブルにこぼれた。すぐにベタベタした液体に戻った。

それから私たちは、身の回りの自殺した友人の話で盛り上がった。誰にも一人くらい、自殺した友人というのはいるものなのだと私は知った。焼き鳥を眺めて、これも死んだ鶏だと思った。そう言った。死んだキヨカワの話よりも盛り上がった。めちゃくちゃウケた。一人くらい殺しても見逃されるだろうと思った。居酒屋の照明はくすんだ黄色で、全ての食べ物を暖かく照らしていた。私には食欲というものが一切なかった。私はキヨカワの髪の色を思い出そうとしている。


山梨県は海のない県だ。それにもかかわらず、キヨカワは教室の窓から外洋にこぎ出した。私はただ事実を伝えた。県民がどれだけクソバカかが分かるだろう。



複製可能な体験は普及しつつある。技術介入度の低いタイプのゲームはその最たるものだ。しかし、逆説的にだが、おそらく人々は次第にある形象に固執することになる。それは、あり得るはずがない現実とでもいうものだ。なぜなら、複製可能なものは他者のものと一切区別ができず、そのようなものはほとんど場合、価値を持たないからだ。物理化学的な性質を抜きにすれば、砂場の砂と金塊の大きな違いは、金塊がめったに見られないというまさにその点にある。

複製不可能な体験は我々に区別を与える。昔、小学校の校庭ですごいことが起きてさ、これは本当におれの身に起きたことなんだけどさ……。これは複製可能ではなく、しかも限られた人間のみが知る、一回きりの出来事である。これは語ることができる価値だ。ライブハウスとスポーツ観戦は極めて簡便な形でこれを提供する。死(特に他人の死)はその中でもとびきりの事象だ。

もちろん、資本主義は我々より賢い。ライブTシャツを見れば分かるように、このような類いの希有な体験も、スタンプラリー的な『経験集め』へと帰着される。そこでは――皮肉なことだが――個々の体験に固有な部分は剥ぎ取られ、単に「あなたたちが持っていない体験を私は持っている」というところにだけ焦点が当てられる。これ、コールドプレイのライブTシャツなんだ、というとき、クリスがいかにFix Youを上手く歌ったかが話されることはない。とにかくコールドプレイのライブがあり、私はその一夜だけのイベントに行ったということだけが明かされる。というのも、他人が知り得ず、かつ反復の可能性のない経験についての詳細な説明は、おそらく全く無意味なものになるからだ。

『外洋への航海』における主題が『オタクが青い髪のパンク少女にバカほどハマる』だとすれば、副題はこれだ。もっとも、私は主題や副題を決めて書いているわけではないし、はっきり言えば、小説におけるテーマというものはインテリ向けのなぞなぞでしかない。