カッサータ、梅シロップ、レシピ

誹謗中傷について

道徳的な観点から見て、私はまず謝罪から始める必要がある。

諸兄諸姉においては、およそ人間活動について、適切な言及が必要だという主張には首肯するだろう。一切の言及がなかりせば、時間の遠近問わず、歴史性は剥奪される。そこでは、人間活動は動物的というよりむしろ機械的になり、カオス的というよりむしろマルチンゲール的になる。

一方で、前回の日記において、私は適切な言及をしてこなかった。実際は、私は

を読んで前回のブログを書いている。LW氏が『膵臓』のアニメ版をぼろくそに言っていて、まあいっちょ原作でも読んでみるか、と思っただけだ。比べると分かるが、私のポストには盗作の気配がうかがわれる。おそらくこの事実をもって、私に騙されたと感じる人はいるだろう。私はそのような人に謝罪する。住所を調べる(『殺す』の婉曲表現)のだけはやめてくれ。

本当は、私だって『鬼殺し』の書評でも書きたかった。書きたかったのだが、これの書評は『炸裂志』と絡めて暴論をぶち上げた方が絶対盛り上がり(netlifyにデプロイしたら花火が上がるはずだ)、にもかかわらず、『炸裂志』は、控えめかつ客観的に言って、ソローキンとバルガス・リョサを露骨にパクっている無意味に長いクソ小説なので、あまり再読する気が起きない。従って、『鬼殺し』の書評は永久かつ決定的に先送りにされた。


リンク

これは互恵関係の発露ではない。礼儀作法の観点からやっているのでもない。私の記事に関するレスポンスのうちのいくつかをとり上げる必要があると感じただけだ。

ここにおいて述べられている指摘は概ね正しい。そして、私は今のところ、これらに対して返答はできない。

あと、これは単にうれしかっただけだが、『megamouthの葬列』氏に褒めてもらえた。こんな感じだ。

もはや隠すことではないが、私は完全に彼のファンボーイだ。彼がEminemなら私はStanであり、このツイートを見たときの喜びは尋常ではなかった。踊った。

Aboutにリンクの欄を作ってこれらのリンクをまとめておいた。興味がある方は目を通してみるとよい。

最後に言っておくことがある。noteなるサイトで『磨け感情解像度』というコンテストが開かれている。もはや感情はポケモンと同じ位置まで来ている。これは実に驚嘆すべき事だ。あなたも感情の解像度を磨いてコンテストに出してみればどうだろうか。私はよしておく。


今後の予定


日記

それにしても、今週は少しブログを更新しすぎだ。記事のクオリティが下がっているのが私には分かる。人間にはアウトプットの適正量というものがある。 Twitter ( ツイ ) オタク ( モタク ) はツイってればいいと思っているかもしれないが、それは危険だ。古代、 Twitter ( ツイ ) の世界にはギャギャ基底(@ggBasis)というアカウントがいた。そのアカウントはしばらくして消失した。アカウント運用者が発狂したからでも、大学当局から爽やかな夏の挨拶が届いたからでもなく、単にアウトプットをしすぎて、何もなくなったからだろう。『なんらかの木』というアカウントもあったが、同じ末路をたどった。これも東京大学から来た爽やかな夏の挨拶の犠牲などではないだろう。

迂遠な言い方をしたが、短く言うと、これからややブログの更新頻度は下がる。週に二,三回すればいいところだろう。多くの編集者たちは「注目が集まってるときに更新しなきゃ。しょこたんレベルに更新しなきゃ。もっと頑張れよ。住所調べるぞ」と言うのだが、それはそれだけのことだ。


カッサータと梅シロップ

はじめに

次のリンクを参考にしている。

白ご飯.com, [梅シロップ(梅ジュース)のレシピ/作り方](https://www.sirogohan.com/recipe/umeju-su/)

モチベーション

梅シロップ

六月になると思い出すことだが、レイモンド・カーヴァーは自分の父親の死んだ月を偽って詩にした。彼の父親は6月に死んだのだが、カーヴァーが書いた父の死についての詩は「10月」という言葉で始まる。

アル中の小説家の話は本当にどうでもいい。6月になるとスーパーには梅が出回る。それを見て、私は梅シロップを作ることにした。なぜ梅酒にしないのか? 私はアルコールが苦手だ。

カッサータ

これについて語ることはほとんどない。衝動的に買ってしまったチョコレートの処理として、カッサータを作ることにした。これがカッサータなのか、それとも極めて粗略化された括弧付きの『カッサータ』なのか、私は知らない。

材料

名称分量備考
1Kg熟していないものを使うこと
砂糖1.02Kg1Kgの氷砂糖に20gの粉砂糖
クリームチーズ200g
独特なさびしさ不要参考
チョコレート・アソート好きなだけ食べるのはお前だ
2-3リットルのものこれは食べない
牛乳20ml
生クリーム150ml必要

マルチメディアがお好み? なら、以下に写真がある。画像のトリミングが異常なのは、画像の下の方に住所が載っていたからだ。本当の意味で住所が載っていたのだ。

作り方

  1. 梅のへたを取り除く。
  2. お湯をわかす。次の写真が沸いたお湯の写真である。
  3. クリームチーズ150g・砂糖20g・牛乳20mlをボウルに入れ、へらで練る。氷砂糖を20g入れようと無意味な努力をするのはやめろ。牛の乳とその肉を一緒の鍋で煮てはならず、あなたが煮たものはあなたが食べなければならない。
  4. 沸いたお湯に梅を入れる。これは熱湯で梅を殺菌するためだ。梅の表面が適切な温度まで上がったことが分かったらざるにあける。
  5. 練ったクリームチーズに砕いたチョコレートアソートを入れる。チョコレートアソートにナッツが入っているとよいが、当然、材料の項目にはそのような事は書いていない。これは不義である。あなたは私の住所を調べようとする。
  6. 生クリームを泡立て、5に加えてさっくりと混ぜ合わせる。手早くやること。早くやれ。今やれ。
  7. 瓶に詰めろ。
  8. 7.は茹でた梅のことを指している。
  9. 瓶に氷砂糖を入れる。その後、冷蔵庫で数週間放置する。
  10. 適当な型に入れて、冷やす。

本来の趣旨

思うに、何かを作る材料と手順を述べているという点のみから、レシピは隠喩の構造を持つことができる。私がこれまでにレシピを記述し、その後に小稿を書いていたのも、単にレシピと小稿の対応が取りやすいからだ。楽観的に言えば、レシピは具体的な文学で、小説は抽象的なレシピだ。悲観的に――そして、人口に膾炙している言い方で――言えば、レシピは材料と手順で、小説は見ごたえのあるインクの染みだ。

私は今回のレシピで二つのレシピを交錯させようとした。それは二つの小説を混ぜることにも似ている。もちろん、この種類の挑戦は過去に二億回されてきたし、単に『批評的』とやらの範疇を超えて使われてきた。例えば、『すべての見えない光』だってこの手の挑戦だと言うこともできる。

結局のところ、上のレシピはやや混沌としただけだった。今回の挑戦は何も生まずに終わった。しかし、この失敗を通して、私は次のような仮説を得るに至った;二つのレシピは完全に断絶していてもかまわず、また、その混合はいくらでも唐突にできうるのではないか。そうしてもまだ結果として生成されるレシピは何事かを語るはずだ。プロットはいくら断絶していてもかまわず、むしろそうすることによって、書かれているものの歴史性というやつを奪うことができるのではないか? これは検証が必要な課題であり、私はこれを読者への練習問題とする。