導師に会う

日記

 本を数冊読んだ。ひたすらに調査を続けている案件もある。まだ時間がかかりそうだ。ある種の人々は、あまり調査しすぎるのも良くないというが、ぼくはまた、”あまり調査しすぎる”の段階に入っていない。巨人の肩に乗るのは難しいが、足元にもたどり着いていない学生が、そういう事を言うのは、時期尚早というか、傲慢というものだろう。
 なんでもいいか。

 土曜日はいつも遅くまで――九時くらいまで――寝ている。この日は目覚ましを掛けていない。何にせよこのくらいになると起きなければならない。というのも、エホバの証人がやってくるからだ。こっから先はちょっとセンシティブ情報で、検閲だ。

風呂についていくつか

日記

 ブコウスキーの The captain ... を読み終わり、Portions from a wine-stained notebook を読み始めた。実を言うと、日本語訳をすでに読んだことがある。こんなことをしてなんになるのかと聞かれれば、何にもならないと私は答えるだろう。
 しかし、そもそも一体、何がなんになるのか? 諸行無常の響きあり。奢れるものもひさしからず。京都の街が焼けたのは、単に防火防災の観点を都市設計者が取り入れなかったという、無知に帰すべき事柄だが、一方で地球がそのうち単に消えて無くなるだろう、という天文学者の意見は、つまりこのようなことである。
 我々の生は、要するに全く、本当にびっくりするほど全く意味がなく、而して、どのような行動も何にかはせむと言ったところだが、あなたが関知するところにおける誠実な人生というものはあり、それに関してはあなたは妥協しないでいるはずだ。

 これは本の話のはずだった。私は――あなたたちと同程度に――病んでいる。要するに支離滅裂ということだ。無くて七癖という詞書もあることぞかし。話を始めると、私はどうしてもひどい場所まで行き着いてしまう。こちらがひどい場所になります。ごゆっくりどうぞ。

書かない日が続く

日記

 暖かい日が続く。嫌な気分だ。春と夏は暑いから嫌いだ。痩せればどうにか過ごせるようになるのではないかと思い、痩せては見たものの、相変わらず夏は嫌いなままだ。
 そもそも、人間は零下でもなんとか生きていけるというのに、たかが五十度で死んでしまうではないか。これはすなわち、人間は一般に暑いところに向いていないということではないだろうか? 夏が好きな人物は、むしろ温暖化に適応しかけている新人類として称揚すべきだが、それが一般に成立するものではなく、むしろ冬が好きな人々の方が原初の形であったのだということは、いくら強調してもしすぎることはないほどだ。

 以上が冗談であった。豈豈、如何すべし。

日記についていくつか

日記

 Charles Bukowski の The Captain Is Out to Lunch and the Sailors Have Taken Over the Ship という本を読んでいる。やる気がややなくなる。

おやおやおやとでもいうべきもの

せつせつと眼まで濡らして髪洗ふ
 野澤節子

 五月になると思い出す句がこれだ。俳句を横書きにするなど何事だ。私を魔女と呼んでくれ。中世の拷問で、私がもっとも興味深いと感じたことが、火あぶりの刑に関する注釈だ。火あぶりの刑とは、火を直接は触れさせずに、じっくりと加熱し続ける刑のことである。執行開始から数時間が経った、ある受刑者の言葉は次のようなものだったと、その本に書いてあった:「もっと薪を入れてください」

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